kaeguriの日記

2歳になる娘と猫1匹との暮らしです。プロフィール画像は奥さんがお風呂に描いた娘の似顔絵。

土から生まれた器

祥見知生さんの「日々の器」にある一文がしばらく頭に引っかかっていました。

「土から生まれた器には、土から離れ、ずいぶん遠くまで来てしまったわたしたちの、還りたい場所が宿っているのかもしれない。」

日々の器

日々の器

まさに私は土から最も離れたところで働いていますし、そういう仕事が好きでもあるのですが、祥見さんの感覚はとてもよくわかるような気がしました。ということを考えていたら居ても立っても居られなくなり、電車が止まるくらいすごい風が吹いている中、川越にある「うつわノート」さんに行ってきました。

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雰囲気のある古い洋館です。静かに器を見て、そして触れることができました。

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窓から穏やかな光が差し込みます。私はいわゆる日本の作家ものの器を、購入する意思をもって真剣に見たのは今回が初めてです。

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小野哲平さんのめし碗。

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田鶴濱守人(たつるはまもりと)さんの小鉢と小皿。

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小嶋亜創(こじまあそう)さんの鉄絵平皿。

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家に帰って早速食事をいただきました。これから毎日使ってみようと思っています。

 

 

50年後に宿泊する場所

昨年10月リニューアルして営業を再開した東京ステーションホテルに宿泊しました。建物は戦災で一部消失し、その後何度も高層ビルに立て替える話がありながらも存続してきたものです。チェックインする際に隣にいた年配の方は、「50年前に泊まったことがあるんです」とお話されていました。

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駅のホームに隣接はしていますが、中は別世界が広がっています。ホームの長さと同じ距離の長い廊下があり、いろいろ探検しがいのあるホテルで、娘と一緒にすみからすみまで歩きました。電車の音は全く聞こえません。(廊下の真ん中部分、窓の近くで毎日聞いている中央線のアナウンスが微かに聞こえました。)

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部屋は上質なクラシックな造りで落ち着くことができます。泊まった部屋は目の前が郵便局のビルでした。娘は「はやぶさ」のワッペンのついたパジャマが気に入って大喜びです。 他に子供用のアメニティには、新幹線のカップと歯ブラシがあり、普段は嫌いな歯磨きも自ら行っていました。

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ここは駅の中心、台形の屋根裏にあたるアトリウム。夜はライブラリとして、本を読みながらくつろぐことができます。毎日中央線のホームから見ている屋根の下にこんな素敵な空間が広がっていたとは。。

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朝食は自然光で溢れたアトリウムでとります。ビュッフェ形式で、どれもとても美味しかったです。特にパンは美味しく、ベーコンやソーセージは自然な味がしました。泊まっている方は、年配の方が圧倒的に多かったです。

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私も50年後に家族で宿泊できたら、きっととても嬉しいと思います。そして受付の方に、「50年前に泊まったことがあるんです」と少し得意げに、感慨を込めてお話するのでしょう。東京の中心には美しい駅舎が残り、これからも多くの人々の想い出が積み重なっていきます。

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アネモネ

iittala, Timo Sarpanevaのi-102とアネモネ。

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iittala, Oiva ToikkaのUltima Thuleとアネモネ。

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marimekkoのファブリック、Juhannustaika (Midsummer spell) のモチーフの1つもアネモネでしょうか。

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子供部屋のカーテンとして使用しています。閑散とした冬の風景から、夏に植物が一斉に繁茂するよるに、朝日が差し込むと、部屋の中が不思議な空気に包まれます。

栃の木のテーブル

週末は国立でお昼を食べた後、家族で西国分寺にあるクルミドコーヒーに行きました。

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地下の席には、樹齢300年の栃の木から作られた、とてもとても大きな1枚板のテーブルがあります。複雑な美しい木目のテーブルです。

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栃の木のテーブルの上で、クリームのたっぷり乗ったウィンナコーヒーと

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イチゴのクルミドケーキをいただきました。

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クルミドコーヒーに行くために、西国分寺の駅で途中下車します。このカフェの存在が、街の空気を少し変えたのではないかと思うくらい素敵なところです。

 

アメリカよ!あめりかよ!

先週は1週間出張先のLas Vegasで、アメリカ、ヨーロッパ、アジア各国から集まった数千人の同僚と一緒に、セッションやグループワークに参加しました。私が外資系企業を経験するのは今の会社で2社目となりますが、このようなイベントに参加したのは今回が初めてです。

 

ジェネラルセッションの冒頭では、Dream、Believeといったキーワードを含んだ文が引用されて気分を盛り上げます。(こういうイベントって少し宗教的なところがあるように思います。)

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So many of our dreams at first seem impossible, then they seem improbable, and then, when we summon the will, they soon become inevitable.  - Christopher Reeve

 

グループワークのファシリテーターはスウェーデンの方で、メンバーにはイギリス、アメリカの方がいました。セッションの合間には以前別の場所で一緒になった韓国の方と再会したり、自分と同じグローバルパートナーを担当する今までメールのやり取りしかなかったシンガポールの方と直接情報交換したり、密度の濃い1週間を過ごすことができました。

 

私はギャンブルもショッピングも全く興味がありませんので、Las Vegasという街に愛着は持てませんでしたが、最終日に街を歩いていて、ふと大きな影響を受けた1冊の本を思い出しました。中学生の時にぼろぼろになるまで読んだ本で、今も手元にあります。

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著者がアメリカ留学した1960年代のアメリカを、自身の体験を軸に書いた物で、アメリカに渡って、ロスアンゼルスから大学のあるペンシルバニアまでヒッチハイクして行く途中にLas Vegasに立ち寄っています。「ヴェガスは町中がカジノといった感じだ」とありますが、今も昔も変わっていないようです。

 

本の中で、日本での困難な環境から、自分の力(と周囲の力)で道を切り開いていくところは、限りなく清々しいです。著者はスカラシップを取って単身アメリカの大学に渡り、アメリカの社会にとけ込み、日本人として充実した学生生活を送ります。アメリカでのエピソードは、隅から隅までピカピカに輝いて、夢と希望に満ちあふれています。

 

私は1950〜60年代のアメリカに強い憧れを持っています。政治の世界ではケネディ、女優のマリリンモンロー、音楽ではビートルズ(イギリスですが)、ビーチボーイズ、マイルスデイビス等々、今でも大好きで、繰り返し読んだり聴いたりする物は、かなりの部分がこの時代に集中しています。そういう感覚の根っこの1つにはこの本があります。

 

今振り返ってみて、人生の岐路で何かを選択するときにも、どこかこの本の影響があったように思います。アメリカから帰ってきて、久しぶりに読み返してみてそう感じました。そして、生きることが辛く苦しかった中学生の時に、大きな支えになる本に出会えたことは、本当に幸運でした。

 

アメリカよ!あめりかよ! (集英社文庫)

アメリカよ!あめりかよ! (集英社文庫)

 

 

 

「ゲド戦記」の世界

「ゲド戦記」の世界は、翻訳者の清水真砂子さんが、ゲド戦記について2006年に新宿の紀伊国屋書店で行った講演をまとめたブックレットです。私は当時、奥さんと一緒に講演を聴きに行きました。

「ゲド戦記」の世界 (岩波ブックレット)

「ゲド戦記」の世界 (岩波ブックレット)

 

ご自身が高校教師だったときにされた体験、ものを読むということはそこに何が書かれていないのか、ということまで含めて読むことだった、というお話から始まり、最後まで夢中でお話を聴きました。

 

翻訳者として、一言一句「正確に」置き換えていくことが、どのくらい力を必要とする作業であるか、また、自身が生み出した言葉に対する責任感、言葉の重みを感じました。

 

ゲド戦記を読み進めていくと、自分がその世界で呼吸をしているような感覚を覚えます。その空気は、原作者であるル・グウィンの物語そのものに加えて、清水さんが磨き抜いた一つ一つの言葉が生み出すものでした。私はゲド戦記の世界の空気感が大好きです。

 

講演を聴く中で、途中から涙がこぼれるのを抑えるのが大変でした。決して、講演の内容があからさまに悲しいとか、感動的だとか、というわけではないのです。暖かくて気高い語り口がはこんでくる、会場に満ちた波に洗われたような、今振り返ってみても理由は説明できないし、他に同じような経験もありません。

 

ただ、美しく年を重ねるというのは、本当に素敵なことだと思ったのです。