kaeguriの日記

2歳になる娘と猫1匹との暮らしです。プロフィール画像は奥さんがお風呂に描いた娘の似顔絵。

かわいいだけじゃない

大人気の陶芸家、鹿児島睦(かごしままこと)さんの、動植物のモチーフを抽象化しパターン化したその作品は、「かわいい」というよりむしろ「美しい」といった方が適切と思うことがあります。私は青単色の作品が特に好きです。

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柔らかな印象を生み出すモチーフの抽象化の部分はリサラーソンやスティグリンドベリといった北欧の陶芸を、リズムを生み出すパターン化の部分はマリメッコやスヴェンスクテンといった北欧のテキスタイルを彷彿とさせます。

鹿児島さんの器は、既存の陶芸の制約からとても自由な印象を受けます。そして、他の表現者が突き詰めている自己表現とは、別の部分に重心をおいている様に見えます。

「サラリーマン時代に学んだ大きなことのひとつが、お客様に「迷う楽しさと驚き」を提供することの大切さ。だから、ひとつとして同じ柄のものはつくらないし、見てくださった人が、どれかひとつだけでも”あれ?”と心を動かされるようなものをつくりたいと常に思っています。自己主張というよりは、そういう気持ちから出てくる絵柄なんですよね」「うつわ作家101人の仕事」(枻出版社)

表現者として自身の文脈の中で自己を提示するのではなく、ユーザーの出会うであろう"あれ?"を想像しそこに重点を置いている部分。例えば携帯やPCの分野において独自技術やスペックの向上にこだわった日本のメーカーと異なり、ユーザーエクスペリエンス("あれ?")のために技術を活用したAppleに重なるところがあるかもしれません。結果的にAppleの製品は多くのユーザーの支持を集めています。

表現者としての生き方の背景が見えずスマートな都市生活者のようなところも、一見とても軽やかに見えます。しかし、ひとつとして同じ柄のものはつくらないということは、手で1つ1つ異なる絵を作成しているということです。展示会の度に数百枚の器を成形し、絵付けを行い、釉薬を掛け、焼き上げるというのは地道で手間のかかる大変な作業のはずです。

一見軽やかに見える表面の下には、その大きな才能だけでなく、表現者としてのたいへんに強い芯があると想像します。そして、数多くの繰り返しの作業の中から美しい作品が生まれているのでしょう。そうして生まれた作品には、思想としての民藝につながるところもあるように思います。

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鹿児島さんの企画展での婦女子の熱狂を見ると呆然としますが、この人気は表面的なものではないと思います。なによりも鹿児島さんの器は、食卓を明るく楽しくします。作りも丈夫ですし、油っこいものを入れても色移りしません。食事を盛る器として使用してみるとその本当の良さが分かります。これから先、どのような作品を出してくださるのかとても楽しみです。