kaeguriの日記

2歳になる娘と猫1匹との暮らしです。プロフィール画像は奥さんがお風呂に描いた娘の似顔絵。

美しいということ

娘の語彙が増えていく過程では、意味のない発声から始まり、最初に身の回りの名詞を覚えていきました。次に意思を表明する"〜する"といった動詞。そして最近は特に"やだ"。そして少しずつですが、"かわいい"といった簡単な形容詞を使うようになってきています。

形容詞は、ある程度経験を重ねないと使うことができないものです。特に美しいというのは入り組んだ概念で、大人であっても美しい器と聞いて思い浮かべる物は人それぞれ異なるはずです。美しいという言葉からなにを思い浮かべるのかということは、きっとその人がどのような人生を歩んできたかということを反映します。

私は美しいということばの中には、半分くらい悲しいという概念が含まれているような気がしています。美しい物は変わっていくもの、長く続く物ではないから、いつかは消えてなくなってしまう物だから。

一方で普遍的な美しさというものもあるはずです。仏教の「有無好醜」(うむこうしゅう)という言葉。好い醜いといった次元を超えたところにあるもの。ものごとが分化する前の大本にあたるもの。計らいのない無作為の世界。

私にとって美しいもの。それは、変わりながら変わらないもの。巡り、繰り返すもの。例えばそれは、5月の風にそよぐ楓の葉の新緑、6月の雨に濡れたケヤキの幹、7月の日差しの中の姫沙羅の木。季節が巡り出会う度に、変わらず美しいと思えるのです。

娘は大きくなったときに、美しいと聞いてどのようなことを思い浮かべるのでしょうか。娘にどのような美しさを与えることができるのか、親としての立場から興味を持っています。

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