kaeguriの日記

2歳になる娘と猫1匹との暮らしです。プロフィール画像は奥さんがお風呂に描いた娘の似顔絵。

ニコ・ピロスマニ

今の家に引っ越した時、リビングの壁にピクチャーレールという絵を掛けることのできるレールがついていたこともあり、絵を飾りたいと思いました。素朴な動物の絵、できれば絵本に出てくるような絵がいいなと考えていた時に、ちょうどNHKの日曜美術館で見たのがこの、ニコ・ピロスマニでした。2009年のことだったと思います。

f:id:kaeguri:20130113101312j:plain


ピロスマニはグルジアの画家で、1918年に亡くなるまでに放浪をしながら貧困の中、酒場などでパンとワインと引き換えに絵を描いたと言われています。当時ちょうど埼玉県立近代美術館で企画展が行われていて見に行ってきたところ、素朴でありながら生命力を感じさせる絵が印象的でした。今でも朝起きて、気が重いときなどにこの絵を見つめるとほっとすることがあります。

f:id:kaeguri:20130113101509j:plain

 

シカは周りを光で覆われています。その光は外側から照らされたものではなく、命そのものが輝いているような、そんな内からにじみでる光です。素朴な絵の中には、生命の輝きがあります。

f:id:kaeguri:20130113101557j:plain


美しいとか美しくないとか、そういうところを超えた、根にあるところを捉えることの出来る画家だったのではないかと感じます。いつか、グルジアにいって、ピロスマニの生きた世界を見て来たいと思っています。

ニコ・ピロスマニ 1862‐1918

ニコ・ピロスマニ 1862‐1918

 

カプラ

カプラ(KAPLA)は、ぱっと見た目何の特徴もないただの小さな板です。フランスの海岸に植林されたヤニの出ない松から作られており、どことなく柔らかい感触があります。白木の物とカラーの物があり、以前表参道のクレヨンハウスで8色セットのものを購入しました。

f:id:kaeguri:20130106192158j:plain

 

積み上げていきます。1つ1つの加工精度が非常に高いので、高く高く積み上げていくことが可能です。

f:id:kaeguri:20130106151546j:plain

 

下から見上げるとこんな感じ。単純ですが積み上げていくのに大人も夢中になります。

f:id:kaeguri:20130106151610j:plain

 

色も美しく周りのインテリアとも違和感なく合います。特に固定してある訳ではないので、つっついたりするとカラカラと奇麗な音をたてながら簡単に崩れます。作った後に崩すのもカプラの楽しみの1つです。

f:id:kaeguri:20130106151708j:plain

 

まだ積み上げるより崩す方が得意。カプラを集めては胸のポケットに詰め込む娘でした。

f:id:kaeguri:20130106192410j:plain

 

ともしびをかかげて

ローズマリ・サトクリフの「ともしびをかかげて」について。

ともしびをかかげて〈上〉 (岩波少年文庫)

ともしびをかかげて〈上〉 (岩波少年文庫)

 

サトクリフを知ったのは、宮崎駿さんの「本へのとびら」で紹介されていた「第九軍団のワシ」がきっかけでした。「第九軍団のワシ」がとても面白かったので、同じ著者の書いたローマン・ブリテン三部作といわれる「銀の枝」「ともしびをかかげて」、及び四作目となる「辺境のオオカミ」を読みました。

 

「ともしびをかかげて」はその深い暗さと、暗い中でこそ見える明るさ(それは決して輝くものではありません)と、作品全体を通した情景の美しさとで、特に印象の残る作品です。舞台はブリテン(イギリスの島)で、3世代前から「もういまにもこなごなにぐだけちってしまいそうな世界」だけれども「まだこわれずにいる」という、ブリテンにおけるローマ支配末期から始まります。

 

宮崎さんは「本へのとびら」の中で311後を「風が吹き始めた時代」と表現しており、そのような時代背景として、この「ともしびをかかげて」の世界も現代に通じるものがあるように感じます。この物語は、風が吹き荒れ、全てを薙ぎ倒していく世界のお話です。

 

ローマ軍に属するブリテン人の主人公アクイラは、世界の終わりの兆しには気づいていても、実際そのようなことが起こるとは思えない日常を送っていますが、ついには目の前で家族を失い、略奪され、奴隷となり、くだけちった世界を生きていくことになります。

 

物語のなかで、アクイラは大切な物を失います。つらい場面もありますが、どのような場面であっても細やかな自然の描写があり、その世界を美しいものにしています。物語の中では随所に「黄色いキンポウゲ」「キツネノテブクロのような桃色」「紫のムシトリスミレの花」というように、豊かな自然と色彩があります。

 

物語の中での救済は全く思わぬところから、幾重にも重なり合った形で提示されます。それはキラキラと輝くものではなく、主人公の細やかな心の動きの描写を通して感じられるおだやかな心の救済です。焼き払われ燃え尽きたスモモの木は、新しい世界の微かな明かりの中で静かに白い花を咲かせるのです。

 

どのような本にも読むのに適切な時期があると思います。この本も子供の頃に出会えれば良かったのに、と思う一方で、多かれ少なかれを失ってきた年齢になったからこそ心に響くところがあるように感じます。深みのある美しい物語であり、いづれまた読み返してみたいと思う一冊です。

 

まっくろい梁

帰省した先は雪国です。土間にある窓の外は雪景色。

f:id:kaeguri:20130101132821j:plain

 

土間に新しく薪ストーブが入っていて暖かい。

f:id:kaeguri:20130101171713j:plain

 

父が以前から仕事場として使用している古い家です。2階の窓からは姫沙羅(ヒメシャラ)の樹が見えます。木肌と枝振りが美しく夏は緑が鮮やかですが、今は雪化粧。

f:id:kaeguri:20130101133821j:plain

 

2階は屋根を支える梁がむき出しになっています。直線の梁は一本もなく、曲がっている木を組み合わせて使っています。どうやって設計するのか不思議なくらい木と木が入り組んでいます。

f:id:kaeguri:20130101140611j:plain

 

こちらは隣の部屋。梁は囲炉裏の煙で燻されて真っ黒になっており、黒い梁と白い壁のコントラストが美しい。(上の写真の部屋はもともと真っ黒だった梁を、大工さんが磨いてしまったそうです。)はしごを上るとそこは屋根裏になります。屋根裏は煤と蜘蛛の巣とで、まっくろくろすけの住処です。以前はムササビがすんでいて夜には駆け回る足音が聞こえたとのこと。

f:id:kaeguri:20130101141010j:plain

 

燻されて黒くなった柱を近くで見ると、手斧(ちょうな)で削ったあとが確認できます。手斧は現在ではほとんど使われることのない古い道具です。使用していないほぞ穴があるのは、80年くらい前にこの家を立て替えた際に、さらに古い建家で使用していた木材を再利用したからと言われています。

f:id:kaeguri:20130102142653j:plain

 

長い時間をかけて使い込む中で美しくなっていく物の中にいると安らぎます。娘とここにくるのは2回目となり、階段や梯子、囲炉裏や薪ストーブなど子供には危ないところもあるので大丈夫かなと思っていたのですが、危険なところは分かるようで、大喜びで家の中を駆け回っていました。

f:id:kaeguri:20130101165527j:plain

いるかジャンプ

23日は西国分寺のクルミドコーヒーで食事をしました。

このカフェには、絵本がおいてあります。お料理を待つ間、娘と「ぐりとぐらのかいすいよく」を読みました。ぐりとぐらシリーズは何冊か家にあるものの、かいすいよくはありません。ページを開いた瞬間に、懐かしい、、30年近く昔のことを思い出しました。


海から流れてきた瓶に入った手紙、この瓶がかっこいいのです。トウモロコシの皮が巻かれた瓶に憧れました。いるかジャンプ、といって父親が、私や私の妹と遊んでくれたこと、そして今は自分が同じような年齢になっていることを不思議に思います。

この日のビーフシチューは、30年たっても覚えているくらい美味しいものでした。そして、私の娘が30年後にクルミドコーヒーで「ぐりとぐらのかいすいよく」を、彼女の子供達に読んであげるようなことがあったら、それはきっと素敵なことなのではないかと思います。

はてなダイアリーを始めました

2歳になる娘がいます。昔読んだ本、その時感じたことなど、子供の目を通して再度見返す機会ができたように思います。すてきな本や物や人に出会えた(子供向けだけではないですが)、ということを綴っていけたら良いなと思います。